見えるようになること

私たちはいろいろな望みを持ちます。ああなって欲しい。これをこのようにしたい。しかし、多くのことは夢のままで、やがて消えてゆきます。具体化への道は実践によって開かれます。夢実現に向けて、相応しい目標を立て、実行に移してみるのです。すると新たな事実に目が開かれます。少しだけ、自分の力の及ぶ範囲の努力でいいのです。実践により今まで見えていなかったことが見えるようになります。そして、より良く見えるようになることにより、よりよく対処する方法が分かってきます。こんな単純な仕組みの中に大きな可能性が隠れています。

目が開かれる仕組み

山に登るとき、目の前にいろいろな景色が展開します。1つの峰を極めると、その先にある新たな峰が見えてきます。そこで決してそれまでに見ることのできなかった景色が視界に入ってきます。それは、そこまで努力して1歩1歩上り詰めた結果です。知源育の第4原則では3つの要素が欠かせませんが、実行に移すことの大切さがここにあります。実際に行なって見なければ分からないことがあるのです。現実は限りなく奥深いものですが、そこで行動を起こし、踏み込まなければ、表面しか見ることができません。やる前からあきらめて、手を出すことすら止めてしまうことがありませんか?逆に、現実を甘く見て、実行にすることの意義を過小評価していませんか?


天災の後に

東日本大地震があってから、フィラデルフィアにいても気持ちが落ち着かず、日常にやっているいろいろなことに手をつけることができませんでした。このブログも4週間お休みしてしまいました。被災者の方々には心からお見舞い申し上げます。しかし、気をもみ、心配の重なる中にも明るいニュースも数多くありました。マナーの良い日本人、身の危険を顧みず原発の現場や救助の現場で一生懸命働いてくださった人々、ひっきりなしに流れるニュースでは、たくさんの人々が困難な状況を乗り切るための知恵を分かち合い、心温まる励ましのメッセージがあちこちから寄せられました。こんなときでもなければ見られないような団結や一致の精神が高まりました。そう考えると、このような大変なときも、日本の将来のためを考えると、天の恵みであったという気にもなりました。復興の人たちとともに、どのようなことが起こっても前進する姿勢を忘れないように心に誓おうと思います。

読む技術

いろいろいなことを知りたいと思っているあなたにとって、読む技術はとても大切だと思います。知源育を使って、読書力をレベル・アップするのも1つの意義ある活動になります。スピードでも、読解の深さでも、内容をしっかり覚えておくスキルでもいいですが、何か目標が見えてきたら、知源育のサイクルに乗せると着実に技術を伸ばすことができます。単に多読することが読書力ではないと思います。あまり重要でない部分はスキムして、自分にとって大切なメッセージがあると察したときには、スピードダウンして、じっくりと味わいます。知源育のサイクルは、何度も大切な箇所に戻ってくることにも応用できます。、

ウィークリーのパターンを見直す

第4原則のサイクルは特に一週間の節目を上手に使うことで生活の中に浸透しやすくなります。バイブルにあるように、神は6日の間に天地の創造を行われ、7日目は休まれて、その業を振りかえられました。これが私たちが取り入れるべき成功のパターンです。一週間のあわただしい日々が過ぎたら、一休みして、自分のオーナーシップについて考えます。長期的なヴィジョンについても考えるときです。軌道修正の方法も見えてきます。見過ごしにしてきた本質にも思いをはせます。瞑想のときは最も生産的なときになります。

記録

知源育では、記録が命です。習慣になると、記録する時間はリラックスしていて、夢が膨らむときです。書くという作業を通して、それまで考えたこともなかった内容について、深く広く考えていることに気づきます。記録するのにはもちろん時間がとられますが、その時間の投資はたくさんの配当金を生み出します。

見過ごされた宝

人との出会いはたくさんのことを学ぶ機会になります。仕事の関係で住んでいる南フィラデルフィアは特別なところです。アジア各地からの難民やアフリカ系のアメリカ人が多く住んでいます。これらの人と深く交わるのは財産です。今日は、知り合い(黒人)のお母さんが亡くなって、その葬儀に加わりました。ドラムを含む耳を劈くような音楽の鳴り響く中で故人を偲ぶすばらしいお話を耳にすることができました。演奏もすばらしい音感とリズム感で躍動しています。自分を磨く機会はどこにでもあります。そして、人との出会いが尊い宝であることが分かります。

はじめに

今日からほぼ毎週1回のペースで短いメッセージを書くつもりです。知源育によって生きる毎日は素敵なものです。ごく身近なところに目をはっとさせるような出来事がたくさん散らばっていて、今まで何気なく見過ごしていたことの中に新しい意味を見出し、それだけでも楽しくなります。知源育と十何年も付き合ってきた地上でただ1人の人間として、知源育を身に付けるということがどんなことであるのか、ごく日常的な出来事を題材にしてお伝えしたいと思います。、

ようこそ!