幸せ

知源育の原則に生きていると、幸せが増していると感ずるはずです。一番自分にとって本質的なことに的を絞って努力するからです。しかも、それに向けてより効果的な活動ができるようになるからです。

幸せであると感ずるためのポイントが2つ、バランスとプロセスです。バランスをとることで余裕を作ります。知的なあるいは精神的な活動が多くなるとストレスも増します。体を動かす活動が十分な頻度で起こるようにバランスをとると余裕が生まれます。余裕の中で充電し、人生を楽しみます。

目標にとらわれず、そこに至るプロセスにも十分な目を向けます。マラソンの目的地だけなく、走りながら、道端の風景や、可憐な草花にも意識を向けるのです。すると、たくさんの豊かな発想や喜びが得られます。人生の幸福はそのようなささやかな喜びの集積です。第1原則がしっかり生活の基板になっていれば、そのようなゆとりとバランスが出てくるはずです。

勝負

過激にならない限り、競争することは成長を助けます。プロジェクトの中に誰かと競い合うという活動を入れることは好ましいことです。しかし、本来競う対象は自分自身です。今日の自分に満足せず、それを乗り越え明日の自分を築いていくのが第4原則だからです。

百戦連勝の秘訣は、中国の兵法になるように、自分を知り敵を知ることです。うっかりすると勝とう勝とうという意識が自分に向けられすぎて、相手の動きを観察し、相手の特徴を正確に把握する努力が欠けてしまいます。当然自分自身の中にある敵に対しても同じです。自分の成長を妨げている諸要因です。どうにかしなければならないという焦りの気持ちが強すぎて、冷静に分析する機会を失っていませんか。記録をしながら、じっくり自分自身や相手を分析してみるのは、予想以上に前向きで生産的な時間です。

そして、敵であっても、いかにその人のパフォーマンスが向上するように助けられるかという観点から観察してみると、もっと深い分析が出来て、相手と共に成長する機会も得ます。

勇断

人生には時として大きな転換を強いられる決断の時があります。どのようにしたら悔いのない選択が出来るのでしょうか?知源育の知恵は何を教えてくれるでしょうか?

第1原則はプロジェクトのはじめに方向を確認する時に必要なだけではありません。どこにオーナーシップがあるのかを確認するのはプロジェクトの全体を通して継続的に起こるはずです。つまり、あまり本質的ではない活動のレベルを落とし、ないしは全くストップして、より本質的な事柄に注意を向けることです。一度やり始めて習慣となったことをやめるには勇断が要ります。そして、知源育に生きているということは、定期的にプロアクティヴにその勇断を発揮するように努力しているはずです。

勇断する力も第4原則のサイクルにそって繰り返し経験することによって鍛えれるようです。小さな勇断を繰り返し経験し、自信がついていると、大きな決断をする時にも潔く問題に直面し、必要な時に勇気を奮い立たせることができます。勇断は軽はずみな結論であってはなりません。あまりにもリスクが大きいからです。

決断へのプロセスはサイクルで進むべきです。予め、何度もシュミレーションをしながら、決断に伴って起こるさまざまな状況を把握し、決断に影響を及ぼす諸要因について認識を深めているはずです。とりわけ、さまざまな問題点を予想し、それに対する対処のしかたについても対策を練ることができます。

「あの人は運がいい。」といわれる人が身近にいませんか?知源育の視点から考えてみます。知源育を生かした生活をしていると運を呼ぶことがよく起こります。第2原則が生かされているからですが、身近にランダムに起こっていることを上手に使って目的を達成するからです。

そう考えてみますと、幸運はいたるところに転がっているのですが、それを見抜き、それをつかみ、目的にかなって上手に使うことが必要なのです。それは生まれつきのものでしょうか?いいえ、1つのスキルとして後天的に身に付けられるものです。知源育の5原則を生活の深部にまで生かそうとする時、運をつかむ力が増すことは確かです。

早めの第一歩

物事に確実な成果を出すために知源育のサイクルを使うことが効果的です。これまで、いくつもの難しい課題をこのテクニックを使って予想以上にうまく成し遂げることができました。それを振りかえってみて1つのポイントが大事だと感じます。それは、課題が与えられたら(ないしは自分で見つけてやろうと決意したら)、その場で、知源育的なソロ・ブレーンストーミングを2-30分して、やろうとすることの大まかな計画を立ててしまうのです。もちろんしっかり記録しながらです。

そこで、枠組みを作っておくと、そのほかのことをやっている間にも、関連の情報がつかみ易くなりますし、思わぬ出会いなどを通して、いろいろな人の協力も得られます。記録に残っているので、定期的にその計画に戻ってきて、さらに綿密なものに作り変えるのです。実行に移すべき重要事項についてはチェックリストにしておいて、何度も戻ってきては確認するのです。最初の段階での少しの時間の投資が大きな成果を生むでしょう。

課題の山

目の前にある山のような課題に途方にくれたことはありませんか?一挙に片がつく見通しがあれば何とか始めようという気にもなりますが、1-2時間働いても目立った違いが出てこないような大きな課題を抱えていれば、手をつけることさえ躊躇してしまいます。

大震災の後片付けはその最たるものでしょうし、私たち研究者にとっては、博士論文を書くことなども果てしない課題に加えられるでしょう。一般的には、長年住んでいた家を引っ越す時の作業なども大変なものです。

そういう作業を気楽にスタートする方法を試してみました。知源育のサイクルを作るという発想が役立った例です。短い時間を区切ってその作業をし、とりあえずそこでストップして、別のことをして体や気を休め、またその活動に戻ってくるという方法です。活動にリズムを作ると疲れずに長く続けられます。

一昨年のことですが、ダンボールに50箱分くらいの研究の資料などがたまっていました。20年近く溜め込んでいたものです。あまりにも大変な量なので手がつかられずにいました。1つ1つの資料に丁寧に目を通し、破棄するもの、リサイクルに回すもの、保存するものに分けるのですが、時間が果てしなくかかります。そこで、一度に15分だけ作業をすると決めました。そして、それが出来たらウィークリー・プランナーにチェックマークをつけて進度を確認するようにしました。定期的に出来た時期も、サボってしまった時期もありましたが、1年後には、50箱分が半分以下の量になって、地下室が見違えるようにすっきりしました。

大事なことで、山のような課題がほうって置かれていたら、このような方法を試してみませんか?

観察力

私は、自分が観察力が弱い人間だと、周りの人との比較や身近な人からの指摘から感じていました。知源育はそれを徐々に変えつつあります。先日、有給休暇を使ってユタの貸し物件の修繕に行きました。私より観察力が数倍はすぐれている家内と、また、プロの人たちとともに活動していると、その人たちの着眼点が自分の中に飛び込んできます。以前には無かったことです。メンタルマークのテクニックが身につき、日誌に具体的に起こっていることを描写することが習慣になるにつれて観察力が自然に育っているのが感じられます。

帰路に向かい、ソールトレークのシティーセンターで乗換えをしようとしたときのことです。普段の私ですと、ある特定のことが頭の中にあって、そのことを考えています。その場にあることも自分の目を引くことに注意を向けますが、とりわけ、そこにある物事を総合的に眺め観察するということはなかなか起こりません。ところが、今回時間的な余裕があることもあり、はじめて見るセンターの全体像をまず確認し、複数の交通機関が入り込んでいるシステムに注意を向けている自分に気づきました。

なるほどと思いました。物事をだんだん着実に出来るようになっている自分がいるという背景に、活動を取り巻く状況に対してより具体的な観察の目を向けているという事実がありました。それまでは、目的地に着きさえすればよいということで、身の回りのことにそれほど注意を払わなかった人間がです。

成功の糸口

つまらないと思われる活動の中にも多くの知恵が詰まっています。たとえば皿洗いです。1つ1つ、躍起になってきれいになるまでゴシゴシすることもできますが、汚れのひどいものは、水につけてしばらくほうっておいてから洗い始めた方が楽に進みます。私にとってはこれが知源育のサイクルだと感じます。まず、水に浸す。それからしばらくそれから手を引いて時を待つ。その間、他のことをしていればいいのです。それからタイミングを見て同じことに戻ってきます。何度も繰り返さなければならないタフな状況もあるでしょう。しかし、確実に1回1回のサイクルははっきりとした変化へとつながります。このような工夫がプロジェクトのあちこちに現れると、知源育の効果が目立ってきます。

芽が出る時

周りを見回すと、長い冬の間じっと殻に閉じこもっていた植物の芽が一挙に吹き出しています。生命の不思議に心が躍ります。

何年も前に、家の改装のプロジェクトをしました。プロに頼んで30センチ以上もある厚みの地下のコンクリートの壁に穴を開けてもらい、新しい窓をつける作業をしました。その後、取り出したコンクリートの塊を運び出せる大きさに割る作業をしたのです。5キロくらいはある長い鉄の棒の先が楔になっている道具を使って上から振り下ろして砕こうとしました。びくともしません。根気を試す実験だと心に言い聞かせて何回で割れるか数えてみようと思いました。800回を越えてもほとんど小さなかけらさえ崩れてくれません。しかし、960回とかだったと思いますが、いきなり固まり全体にひびが入る気配がしました。それから10回もたたない間に、実に見事にパカッと半分に割れてしまったのです。

900回を越えるまでの気が遠くなるような長い時間、ほとんどたいした変化を見ることができませんでした。しかし、目に見えないところで、コンクリートの中に小さな亀裂がたくさんできていたのだと思います。あの時の感動と、驚きを忘れることができません。そして、私たちが何か大きな壁にぶつかってそれを越える時も、それと同じような経験をするのかもしれません。このようなことを一度経験すると、自信が確実に増します。

災害復興の中で

日本は数多くの天災や大戦などを経てそのたびにより強固な国の基盤を作ってきました。危機の中で、もし断念しなければ、人は多くの工夫を余儀なくされます。そのプレッシャーを利用すれば成長の原動力にすることができます。

夢を積極的に実行に移すことは小さなマイルドな形での「危機」を作り出すことと考えられます。現実との不具合があちこちに出てくるからです。それをバネに飛躍します。このブログ、東日本大震災の影響で4週間お休みになりました。今週は2つ目のメッセージで挽回を図ります。

テニスの練習中利き手である右を痛めます。遊びのつもりで左手で打ってみます。「もしかすると」という思いが、実行になり毎日のように左手の訓練が始まって半年余り、コートで相手とどうにか打ち合えるレベルまで左手が上達しました。このように左手を強めることは、バックハンドで、他の人よりはるかに強い両手打ちを可能にしてくれました。試練の状況はより強いパフォーマンスへのきっかけになります。