恐れと躊躇

英語で書き、話し、考えることが日常で、うっかりすると漢字や日本語の言葉を忘れてしまいます。「ちゅうちょ」という言葉がこんなにも画数の多い漢字熟語だったとは。驚いています。

さて、ユタのパーク・シティーでの経験は実り多いものでした。自分にとって真新しい分野の専門家たちに交わり、たくさんの刺激とアイデアをもらってきました。

知源育を生活に応用する前、何か新しいことを学ぶ時、どこか分からないところがあるとそこに引っかかってそれ以降に提示される情報をつかむことが良くできませんでした。それは学習を効率の悪いものにしていたと思います。それは直線的に進める方法の問題点です。障害にぶち当たると頭の中が真っ白になって、理解しようというメカニズムがめちゃくちゃにされてしまうみたいです。それに対して、知源育の方法であるサイクルのパターンが身についていると、最初のサイクルで高望みをせず、部分的な理解でも満足して、とにかく前進しようという心構えができています。恐れがない状態です。リラックスして、しかも全力を尽くします。このような態度と姿勢がやがて期待以上の成果を出すことに気づきます。

現実生活の中での学習は、最初に初級のことがきて次に中級が着て最後に上級のことを学ぶという風にはできていないことが多いでしょう。大会最終日、ほとんどの参加者がすでに会場のホテルを後にした夕方、私は、ロビーで記録を復習しながら振りかえり、新たや目標やアイデアを書きとめたりし、ソファーに座ったり、近くを歩き回りながらいつものように知源育のモードで考えていました。

すると韓国のリム博士とばったり顔を合わせ、しばらく自己紹介をして話しているうちにジョン・ボーイズ教授と彼の同僚が現れ、3人はこれから夕食に行くということで、私も誘われ、初対面の自分にご馳走してくれるという大胆さに驚いていました。高級なイタリア料理で、舌鼓を打ったのは良いものの、3人のワイヤレス・チャージングについての世界的な権威者同士の会話に立ち会うことになったわけです。とにかくその領域についての基礎がまったくといっていいほどないですから、詳細が分かるはずがないのですが、サイクルで理解する癖がついていますから、とにかく自分の前に提示された考えを素直に吸収しようと努めていました。

恐れや躊躇を払いのけてしまうと、たくさんの学習の機会が目の前に驚くほど出てきます。ただし、ABCの順では出てきません。いきなり最も専門的なポイントを突き出されることもあるでしょう。しかし、サイクルに基づく知源育のモードで進むかぎり、それらの情報をも生かして学習が進みます。夕食後、話したことや聞いたことをメモし、分からないことや関連事項をインターネットで検索し、知識を膨らませます。ボーイズ教授は日本でも著名で、その分野のパイオニア、20年前に彼の家の地下室で製作された装置がやがて今あちこちで実用化され、最近ITのグローバル企業に彼の設立した会社が買収され、一夜にして大金持ちになった背景も分かりました。

生まれ変わる力

あまり自分の経験を語ると自慢話ととる方もありつらいのですが、今日職場であったことです。世界で唯一の知源育のマスターとしての発言だと言うことでお許し願いたい。社長はインド人で、電気物理学の博士号を持つその道の専門家です。ふとしたきっかけから私が先鞭をつけたユタ州立大学のダイナミック・エナジー・ラボとの共同研究が面白い展開を見せ、会社のスタッフも一丸となり電気自動車の次の次の世代のためのダイナミック・ワイヤレス・チャージ・システムを開発実用化しようと、おもちゃのリモコンから始まり、電動スクーターを使ってのシミュレーションの共同実験を計画するため今週ユタ州のあの冬季オリンピックの会場だったパーク・シティーに出かけるのです。そこで道路の電化を推進しようとする関係者の学会があります。世界のいろいろなところから研究者やビジネスや政府の関係者などが集まります。

私は会社を代表してひとりだけ出席します。その学会ではただ聞き手に回りネットワーク作りが主な目的になるのですが、共同研究の相手であり、この学会の企画者でもあるユタ州立大学の人たちに私たちの研究成果を発表するパワーポイントの準備をしていました。自分の研究したデータをまとめおざなりのシンプルなスライドを10枚ほどにまとめて社長に見せると、最初はまあまあ満足していたのですが、彼のフィードバックに従って訂正を加えているうちにあちらからの要求がだんだんエスカレートして行き本格的に手直しが行なわれました。そして、発表の仕方にも注文が出てきました。

日本人や台湾人がよくやっているような、まじめ腐ってドライで面白みのない内容である研究発表ではだめだとお説教が始まったのです。黒澤の映画のように人を引き込むような演出がなくてはいけないと。それで、社長は熱弁を振るって発表にストーリー性を持たせて生き生きとした印象を付け加えようと模範演技をしてくれます。半分自分の練習も兼ねているようなのですが。。。

他の同僚たちも聞こえるようなでっかい声で話しているのですが、以前の自分であれば面子を失いまじめな日本人の自分にそんなダイナミックな演技などできるはずがないと途方にくれるところです。ですが、知源育によりいろいろなプロジェクトで鍛えているせいで、ないと思っている能力でも引き出してきた自信がありますから、ここでもくじけない自分がいました。「社長ありがとうございます。私の脳みそに叩き込んで、演技してみます。」(英語では、ファーストネーム同士で呼び合っていて砕けた会話をしているのですが、日本語で表現すると深刻な感じが出てきてしまいます。)と返事して、パワー・ポイントを早速書き直します。鼻歌交じりにキーを打ち始めます。

自分を新しい役割にどんどん変えていかれる力が出てきていることに驚かされます。六十にもうすぐ手が届く自分にどうしてこんな力が湧いてくるのか不思議です.「可変性」というか教育学の言葉では「陶冶性(とうやせい)」と言いますが、自分を思わない方向に変えていかれる柔軟性と自信です。これは、知源育のプロジェクトをたくさん積み重ねてきた結果であることは間違いありません。

英語では、”You cannot teach an old dog new tricks.”と言う諺がありますが、長年すっかり身につけてしまったことを変えて新しい特徴を身につけることは難しいに違いありません。教育学の人間がエンジニアになり、今度は人を巻き込んで演出できる話術と言うか演技力を身につけるようにという課題が職務上出てきて、社長自ら演技して見せています。実は密かに感じているのですが、社長自ら、学者で生真面目な学者肌を脱皮してダイナミックなカリスマ的存在になろうと一生懸命なのです。私はそれを心からバックアップし、自分もそれを演じようとない力を引き出しています。

 

 

変化を演出する(3)

時とともにいろいろな変化が起こってきます。外部からの要因で変化が起こります。しかし、知源育モードが生活の中に入ってくると、外部要因がまったくないところに、または、取り巻く環境が自分が起こしたいと思っている変化を妨げている状況でも変化をひねり出すことができるのです。ひねり出す作業はひとりでには起こりませんから、当然意志の力を十分発揮する必要があります。

こうなりたい、こうしたいと思ってもいまいち力が湧いてこないことがありませんか。私にもよくあります。体調にもよりますし、疲れていると体がついてきません。それでも、意志の力が悪条件に打ち勝つこともあります。といってもそういう状況で意志の力が百戦連勝というわけにはいきません。実は、連勝しすぎると体や精神がぼろぼろになり病気になってしまうのかもしれません。時には息抜きも、リラックスしぼんやりと時を過すことも大切です。ですから、100%は目指しません。ですが、サイクルを作って当初の100%以上のところに到達できます。

私が難しい課題に向かう時、または、一つの活動が中断し再開することがものすごく億劫に感ずるとき、とにかく座って日誌に時間とやりたいと思っていることを書き出します。それから一定の条件で無理なく短い時間(たとえ10-15分くらいでも)でできることを考え記録します。そうすると何とか体や頭が動き出してくれます。いやいやながらですが。しかし、面白いことはその短い時間が終わって再び記録しながら振り返るときには動機付けが思わぬレベルに上がっているのです。そのような短いサイクルを何度が繰り返すうちにペースが戻ってきます。ですから、最初のスタートは日誌を取り出し、時刻を記入し、漠然とした目標でもまず書き出し、それから、記録しながら具体的な行動目標を見出すこと、そのような簡単なところに行動力を引き出すヒントがあります。

変化を演出する(2)

これまで30を越えるプロジェクトを進めてきて思います。人生は予期せぬ方向に大きく舵取りをすることが間々あります。そのたびにプロジェクトはペースを落とし中断することもあります。気を入れる度合いに違いが出てきます。それは記録の量に顕著に現れます。外部的な要因だけでなく、なんとなくたるんできて、記録する内容が思い当たらないこともあります。当然成長もゆっくりか足踏み状態になってしまいます。

マンネリ化を脱出する一つの方法は、日誌を読み返し感じたことを書いてみることです。失われた新鮮な気持ちが戻ってきます。当初感じていた多くの疑問にすでに答えが見出されたことにも気づきます。どのように答えが見出されたかを書きとめ振り返ることによって新しい発想が浮かんでくるでしょう。このような記録の利用が変化を促進する鍵になります。

変化を演出する(1)

知源育は良い変化を演出するための道具です。多くの人がよりよい自分になるため、より高い実力をつけるためにいろいろな分野で努力しています。努力をする限り向上するのが必然ですが、その度合いが知源育を意識的に行なうか、そうでないかで大きく違ってきます。

その度合いを増す仕組みはどうなっているのでしょうか?これから何回かに分けてその仕組みを解明してみます。わたしたちが通常のモードで生活している時、あることに目を向け、それを達成するために努力を集中し、それができると満足して次のことに目を向けます。何度も思い起こすこともあるでしょうが、たいていのことは間もなく意識から消えて思い出すことがありません。積み重ねが起こりにくいのです。知源育における記録は意識を継続してある点に向けることを助けてくれるのです。それが大きな違いを生む原動力になります。

長い間のお休みにお詫び

最後のエントリーから半年が経とうとしています。我が家に大きな変化が訪れ、書く余裕がありませんでした。第3原則にあるように予測不可能で混沌とした状況が起こるのが現実です。しかし、記録がある限り中断の後、すぐに新たなスタートにかかれます。これからしばらくの間、昨年の記録を振りかえりながら書き進めてまいります。

支援の中に

自分の成長のために知源育が役に立つのはすばらしいことです。しかし、成長にはもうひとつの次元があります。それは他者の成長を支援することです。そのような支援の中で、自分自身の成長を違う角度から検討することが起こります。自己流で身につけてきたテニスの技術ですが、自分より初心者と共にプレーすることが増えるにつれ、新しい意識が自分の中に育っていることに気づきます。その人の成長を育むという視点です。相手の動きを観察し、よりよいパフォーマンスが出来るよう助けようとすると自分の力を伸ばすのとは違った意識を持たなければなりません。

テニスで競争力を増すということは、相手の動きに適切に対処する必要があります。相手があっての試合ですから。当たり前のことですが、上級のプレーヤーにはどんなボールを打っても返ってきますが、初心者には、打ちやすい位置に適度なスピードで打ってあげなければなりません。ですから、よりよいコントロール、正確な打法が身につきます。そして、相手の模範にならなければならないという意識が、自分自身のフォームをもう少し細かく点検することにもつながります。

知源育を通じた支援全般にいえることですが、支援を通して、実は共に成長しているのです。

生きる技術

生きている、あるいは生かされているという現実にあまり目を向けることが無いかもしれません。生きていることがあまりにも当たり前で、毎日の日常が特別なこともなく繰り返されている時です。人は、そのような日常が何かの事情で崩されない限り、自分の生きている事実に注意深い目を向けないようです。

知源育は、その生きるという雲をつかむようなテーマにうまくフィットして、私たちに考える機会を与えてくれます。もし、1つしかない人生を生きるのであれば、悔いのない充実した生涯にしたいと思うのが自然です。上手に生きるという技術があるのでしょうか?わたしには、そういう方法があると感じられます。ジグソー・パズルの1つ1つのピースがぐちゃぐちゃに混ざっているような状態の人生から、パズルが完成し、美しいパターンやイメージが出現するように、よりよい生き方が生活の中に入ってくるに従い、自分の人生がより美しく、深い喜びで満たされるように感じられるのです。

一見豊かで便利に見える現代社会ですが、生きるという技術が育まれているかと自問すると、あまりにも多くの人が、すばらしい能力や可能性を持ちながら、自分の作り出す不協和音やネガティヴな波紋の影でおびえているように思われます。

変化を生む小さなステップ

何十もの知源育プロジェクトを行い、自分でも驚くような成果を見た経験を振りかえってみると、日々の活動で行う1つ1つのステップは地味なもので、変化の実感さえ感じることが無いことが多いことを思い出します。何か目を見張るような変化がまほうのように起こることを期待していると、小さな変化が確実に起こっているのを見過ごしてしまうかもしれません。平凡なくらいに目立たない変化を起こしているからこそ無理が無く、長続きします。小さなステップが積み重なると大きな飛躍が起こります。

大事なことは持続力と絶えざる工夫です。第2原則を思い起こして、更なる工夫にチャレンジするのです。記録をつけそれを定期的に復習することでともすると見過ごしてしまう小さな変化に気づき、元気や励ましをもらえます。中断やスランプは日常のことです。当然あるものと勘定に入れておくのです。古い記録を読み返してみると初心を思い出します。始めた時の熱意が戻ってきます。そして、自分がどれほど先に進んでこれたかを実感し、勇気をもらえます。

時が熟しているかどうかは、物事がうまくいくか否かということに大いに影響します。能力や人脈もあり、そのほかの条件もいろいろそろっていても時が熟していないとなかなか進みません。

自分の手の届かないところで時が準備されていることもありますが、第2原則の知恵は、身近なところにあるものをフルに使って今出来ることを前進させていると、自分が時が熟すのをある程度早めることができると教えます。とても大きなことで、自分などには、手も足も出ないと思っていることが、コツコツとサイクルを繰り返すうちに、周りのものを大きく動かしていることに気づくでしょう。