活動の最中に生まれるヒント

実際の変化が起こるには具体的な工夫が求められます。いくらすぐれた頭脳の持ち主でも、行動を起こしその中から事実をつかみ取る努力にはかないません。人間の予想する力には限りがあります。一つのやり方がうまくいかないと知って、少し違ったことを試みてみる時、新しい領域に踏み込むことになり、そこから新たな反応が返ってきます。新しい認識が生まれる契機です。心を開き、耳を澄まし、メンタルマークする準備をして与えられるヒントを掴み取るのです。記録も忘れないで。

向上のメカニズム

前回に続いてもう少し突っ込んでみます。翻訳の例をまた使えばプロジェクトを始める前は、時間を特に設定したわけではなく、気の向いた時にはじめ、途中で疲れれば手を休めて別のことを行なうという具合で不規則でした。プロジェクトを組織する段階で、毎日決まった時間帯に環境を整えて行なうということで、コンピューターの配置換えなどもしました。時間と訳出している語数を丁寧に記録しモニターすることを始め、日誌には気づいたことを書き始めました。どこでスローダウンしているのかをもっと意識し始めています。

これらのことが重なって、それほど特にがんばっているという風には感じていないのですが、タイムを計ってみると記録が伸びているのです。一応1時間に2000語を訳すという夢のような数字を設定し、組織的な努力が始まりました。もちろん、自分でも言っているように、夢は夢として頭の片隅にしまっておき、時々思い出しますが、現実的には実行可能な具体的な努力目標に向かって日々の努力を重ねます。そして絶えず目標を進化させます。

著しい変化

いくつもプロジェクトをやってみて気づくのは変化が連続的に徐々に起こるのではなく、何かのきっかけで一挙に大きく飛躍するという現象です。コツコツ努力していることがその下地になっていることは確かです。潜伏期があって忍耐しなければならないということも事実です。しかし、目に見える変化は連続的というよりは断続的です。何かのきっかけでワーッと変わります。

最近翻訳のプロジェクトを始めました。その翻訳自体は1年も前からスタートしていました。ですから、ある程度なれて熟練したと思うのですが、スピードの方は一時間で350語ぐらいしかならず、始めたときとなんら変わってないと感じ、これを知源育のプロジェクトとして取り組んでみようということになりました。プロジェクトにするというのはそれほど簡単なことではありません。決意と準備と注意深い計画が求められます。1-2時間の集中した時を設け、正式にプロジェクト名を決め、コードを作り、日誌に書き始めました。目標は翻訳の質とスピードを高めることです。とりわけスピードに注目しています。面白いことに一週間も経たないうちに450から650語くらいのペースで訳していることに気づき、頭をひねってしまいました。以前にもそれなりにできるだけ速く訳そうとしていたのは事実です。それなのになんら目立ったスピードアップもなく9-10ヶ月がたっていました。それが何かのきっかけでこのように著しく変化するのです。

スピリチュアル・クリエーション

個人的な信仰の内容になりますが、神は天地創造に際し二重の創造をなさったと信じています。一つは霊による創造、次の段階で物質的な創造が行われました。これを応用するとイメージでの創造と、それに基づいて具体的な実践がきます。いきなり実践に入るより、あらかじめイメージでの創造を行っていたほうがはるかに確実な実践ができます。

知源育ではサイクルで事を進めます。実践をしながらその中のある時間を割いて将来のことについてイメージでの創造を試みるのです。これは、実際の行動を起こすことではないのにもかかわらずかなり積極的なことで、意味のある準備がさまざまなレベルと領域で起こります。プロジェクトの中で試してみてください。

組織することの中に将来が見えてくる

日曜大工のプロジェクトを進めていると、うっかりすると道具や材料が所狭しと散乱する光景が生み出されます。作業の手を休めて周りを片付けることは作業の効率にもつながります。私は15センチ四方くらいの小さなちりとりと箒のセットが好きです。それで、狭いところでも身の回りをきれいにすると、雑然とした作業場に秩序が生まれ、見えないものが見えるようになるのがうれしくなります。

どのようなプロジェクトでも、現場は当初無秩序なものです。少し整理しても、放っておくとすぐ無秩序が入り込んできます。私たちの生活はそういう自然な仕組みになっているようです。雑然としていてもかまわない人もいます。本来私自身もそういうタイプなのですが。しかし、組織しないと作業効率が落ちることは目に見えています。知源育の記録も同じです。たくさんのメモが集まりますと、一見雑然としています。それを整理していると思わぬ気づきがあちこちに起こって来て活動にメリハリがで、目に見える進歩が起こります。その醍醐味は楽しい営みとなります。はまってしまいます。急に見通しが明るくなるのです。

望みと現実

「絵に描いた餅」になっていませんか?計画倒れは自然に起こることです。知源育を使うということは、この「望み」と「現実」という隔離した2つを結ぶ架け橋を造ることです。一方では計画がより精密なものに記録の中で育っていきます。もう一方では自然に実行可能な活動に的が絞られます。日々の努力は後者に集中するのです。しかし夢を追う事は同時に続いていきます。夢は絶えず進化します。

知源育が上手になっていくプロセスとは「最も有効な次のステップ」を極めるスキルが増すことだと言えるのかもしれません。これは知源育を実践する中で磨かれるスキルです。

 

言葉を見つける

知源育における記録は創造的な営みです。私たちの活動の中にはたくさんのTacit Knowledge(いまだはっきり解明されてないぼんやりとした理解)が起こります。放っておくとそれらの情報はやがてすっかり忘れ去られてしまいます。知源育のテクニックであるメンタルマークという意識は、大事なTacit Knowledgeを保存する手段です。

知源育を使って生活していますと、ある種の感覚が研ぎ澄まされます。もやもやとしているのですが、何か活動の中にある特定な部分に何か大切なものがありそうだという直感が働きます。そこにスポットを当てるのがメンタルマークです。メンタルマークした事柄は出来るだけ早く記録しなければなりません。言葉にする作業です。創造的なプロセスです。特別な楽しさが隠れています。

記録のタイミング

忙しい現代人にとって、活動の手を休め自分の身に起こっていることを記録するのには自制心が求められるでしょう。暇があれば何気なくインターネットをサーフしたり、メールをチェックしたりしてしまいます。それより次の活動に矢継ぎ早に移っていくように急き立てられているかもしれません。

記録とともに活動を進めることが肝心です。何事にも待ち時間があるものです。すぐ結果を出したいと躍起になるときです。そこにゆとりを作り出すチャンスがあります。立ち止まって記録し、過去の記録に目を通し、待ち時間に有効に時間を使えそうな小さな活動を創り出すのです。それは長期的なプランをシュミレーションすることかもしれません。そのように記録しながら待ち時間を過ごすことにより大きな配当金が戻ってきます。

 

復習によって振りかえる

知源育のプロジェクトが進むと記録が増えます。うっかりすると復習がないまま長い間が過ぎてしまいます。それはこのようなプロジェクトの落とし穴です。復習の意義がしっかり分かっていないと前に進もうという意識が強くて現在のことと近未来のことにだけ意識が集中して以前のことが頭の片隅に追いやられてしまうか、あるいは惰性でだらだらと時が流れ目先のことにただ追われて初心が薄れ大局的な見方ができなくなってしまいます。かつての要件もいつしか影が薄くなっれしまうこともあります。定期的に古い記録を読み返し、振りかえることはモーティヴェーションを高いレベルに維持し、意識を最重要ポイントに保持し、充実した活動を継続させる力があります。

自分がさりげなく残した記録を読み返すことにどのような意義があるのだろうかと疑うことがあるかもしれません。しかし、そのような一見はっきりした価値が見出せない行為の中に知源育のすぐれた価値が隠れています。定期的に古い記録を復習することはプロジェクトの必須の要素になるべきです。

見えない変化と取り組む

知源育を用いてあるスキルを磨きたいと努力している場合を考えます。日々の努力を記録しているはずです。起こっていることを少し細かく描写してみるだけでも十分な意義があります。メンタル・マークを試みて内容が膨らんでいくことも楽しみです。

やがてある特定のポイントに意識が向くでしょう。そのポイントを伸ばすためには組織的な努力が必要です。ドリルのような訓練です。目標と計画の下で具体的なノルマが決まります。いざ実行に移ります。サイクルには3つの要素も入っています。ところがです。現実は予測のつかないもので、うまく行く日もあれば、停滞するないしは後退しているように感ずる時もあります。

本質的な変化は週に2-3回の訓練を続けて、2-3ヶ月継続しないと現れないこともあります。訓練自体に問題があることもあるでしょうが、よく考えある程度試した上で決めた訓練については変化がすぐに見られなくても継続することが必要です。いろいろなところで変化が静かに潜行しているのです。一貫して小さな努力を積み重ねることに計り知れない価値があります。自分に合った訓練の方法を絞り込んでいくことも鍵です。