何となく進めているという時

知源育が生活の中に生きてくるというのは意図的な活動が増すことです。繰り返しが多く起こっていても、それ自体はそれで良いとして、好ましい変化を創り出すには何かがかけています。ワークショップに参加して何か良いヒントを得たとします。あるいはコーチが何かをアドバイスしてくれたとします。それに従って自分の実践を変えます。一度に理想的にできるはずはないですから、努力しながら理想に近づけてゆきます。

 

しかし、そのうちに同じことの繰り返しの中で、新鮮さが亡くなり、マンネリ化が起こり、機械的な繰り返しになってしまい、成長もストップしてしまいます。知源育に生きるということは漫然と進むことがなくなることです。それはどのようにして起こるのでしょうか。第5原則です。組織的な振り返りがあると新たな気づきが限りなく起こるのです。限りなくというのは大げさだと感じるかもしれませんが、上を目指す限り、本当に無数のポイントが出てきて、その課題に目を向けることでマンネリが克服されます。

 

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