知源育に従った計画をしていますと、記録しながら、たくさんの疑問について考えながら進める訳ですが、私たちの意識は特定の情報を得ようと構えるようにセットされます。それができていますと、日常生活を営みながら、思わぬところで出会う情報の中から、ねらっている情報をキャッチすることができるのです。漫然と見過ごしている現実の中からたくさんのきらりと光る宝を見つけることができ、日常生活の充実度も増します。しかし、その受け皿ができていないと情報は右の耳から左へと流れ出して失われてしまうのです。
コメントは停止中です。