引き延ばしを克服するー原因はどこに?

やるべきこと、やりたいことが山ほどあっても、なかなかそれに手を出すことができないと感じたことはありませんか。まず、どこから手を付けたらよいのか分からないという現実もあります。

メタボ気味の人が運動やダイエットをしなくちゃと思っていても始められない。何かの知識やスキルを身につけたいと願っていても、始める余裕が無いと思っている。自分はテレビやゲームやソーシャルネットワークのために時間を使い過ぎて家族ともっと有意義に時間を過ごす機会を失っている。以上のような状況にある人は多いと思います。

誰しもなんらかのメンタルブロックを持っているものです。メンタルブロックとは、自分で自分がやろうとしていることの前に壁を作ってしまって、自分の前進を妨げてしまう心理状態です。

 

発想を豊かにする

知源育的な記録を付けていると発想が豊かにならざるをえません。頭の中だけで考えていればすぐ行き詰まってしまうようなことでも、Q&Aのテクニックやソロ・ブレーンストーミングを使って書きながら考えを進めますと、限りなくアイデアが生まれます。

もし考えに行き詰まってしまったら、日頃から質問のリストを作っておいて、そのリストからふさわしいものを選んで自問するのです。そうすればいくらでも考え続けることができるでしょう。疲れたら休み、他の活動をしてまた戻って来てもいいのです。考えの道筋はすでに記録されていますから、何時でも前考えたことに戻ってくることができるのです。

アイデアの生まれる仕組み

様々な知源育のプロジェクトを進めて思うことは、物事が進むスピードは一定ではないということです。長い停滞の後で一挙に進むということがよくあります。アイデアが、それこそ電光石火のごとく閃いて道が開けてしまうということがあります。

別の観点から見ますと、気持ちが集中していることが大事です。そのためには、身体や精神の状態が良いコンデションであることが助けになります。十分な休息や、集中力を育むような身体の鍛え方などが意味を持ってきます。私はしばしば2−3時間の激しいテニスの練習や試合を経験していますが、そのおかげで、強い精神力や集中力や気分転換のテクニックなどが身に付いていると感じます。生産的に物事を考えるためには日頃からの準備が必要です。

かといってこれらの条件がアイデアを生むことを確約する訳ではありませんし、そういう準備ができていなくても、必要に迫られて「火事場の馬鹿力」の様な力が発揮できるという現象を否定するものではありません。

問題設定を進める

前回、問題設定の持つ可能性について書きました。深い学習が起こり成長する機会が得られます。第3原則のテクニックなのですが、問題設定(問設と略称)をすると具体的な取り組む課題が見えてきます。頭の中でもやもやさせておくと、いつまでたっても実行へのステップが出てきません。

財政赤字になりそうで心配だ。そんな心配が頭の中をぐるぐる回っているとします。問設の観点からすると、まず問題状況を書き出し、考えを記録しながら発展させます。そして、それをいくつかの課題としてまとめて書き出します。そのようなプロセスで書くことの中には、「問題に対処するには、収入を増やすことと出費を減らすことの2つの大別がある。どちらがより好ましい解決方法になるか。それとも、両方同時進行させるべきか。。。」の様なメモが入っていることでしょう。問題自体をはっきりさせることによって解決方法が次第に見えてきます。

問題設定

地元フィラデルフィアにはSustainability Workshopという組織があります。この地域の中高生のための組織で、放課後の時間を使って、実社会で役立てるいろいろなスキルを訓練する機会です。先週学年末の祝賀行事に参加しました。会社の上司からの命令でもあります。一人の高校生の参加者がスピーチの中で、「私たちはまず世の中の問題からスタートしました。そのことは自分がこの活動の中で成長するための鍵になったと思います。」と振り返りました。

これらの若者たちは実社会の問題に取り組み、地球の環境を次の世代にも正しく引き継ぐことができるように、何か具体的なプロジェクトを作ってそれに組織的に取り組んでいます。例えば、ハイチの地震でまだホームレスの人たちがたくさんいる問題で、プレハブの資材を準備し、コンテナにつめて送り出すという企画を進めているチームの発表がありました。そこには教室では学べないたくさんの具体的な実社会での知恵を学んでいる姿がありました。

 

 

 

 

 

チャレンジの中に

だれでも物事が順調に進んでくれるように願っていると思います。しかし順調な時って何も新たに学んでいないという場合が多いですね。物事がうまくいかないといやでもどうしたら状況を改善できるか真剣に考えさせられます。そのプロセスの中でいろいろな現象に目が開かれるのです。ですから、チャレンジのあることに取り組んむことが望ましい。きっと克服しなければならないことがたくさん起こるでしょうから。

いろいろなことに目を開くために、難題が降り掛かってくることを待つ必要はありません。他の人の力になることで代理の経験ができます。難題を抱えた人とともに、問題解決に取り組んでいるプロセスでたくさんの気づきやスキルを伸ばす経験が与えられます。奉仕活動は人生を豊かにするすばらしい機会です。

 

相応しい判断

プロジェクトがスムーズに進み、成果がしっかり出てくるか、それとも暗礁に乗り上げてしまったり、難しすぎる課題にお手上げになってしまったりするかどうかは要所要所で相応しい判断ができるかどうかにかかっています。第4原則が教えるように毎回の行動目標を100%クリアーする必要はありません。たとえ30%の達成でも成功なのです。継続し、目標を絶えず進化させて行く限りですが。しかし、相応しい課題を考えられることは、状況をがらりと変えるほどの効果があります。初心者の場合、コーチや先輩からヒントをもらいながらこの判断力を身につけることが望まれます。

とんでもない課題を作ってしまったと後になって気づいて大笑いすることもあるかもしれません。そのようなおおらかな気持ちも大切です。相応しい課題を考える、相応しくプロジェクトを企画する力も、サイクルを通して次第に身に付けることができるスキルです。

次元の違う世界へ

知源育が生活にだんだん浸透し、いくつかのプロジェクトが同時進行しているとします。それぞれのプロジェクトを一生懸命進めていますと、たくさんの時間をそのことに費やすことになり、豊かな感情、意識、身体的な刺激、知識などが起こってきて、経験が蓄積されます。経験が深くなるにつれてあたかも一つの新しい世界に入って行くような印象を受けます。

1つ1つのプロジェクトが次元の違う世界であるように思われることは、身体的あるいは精神的な疲れが次の世界に入るとなくなっていると思われることがあるからです。もうおなかがいっぱいだと思ってもお気に入りのデザートならまだ入る余地があるというのとも似ています。1プラス1が2にならないのです。1と4分の1くらいに収まってしまう。ですから、24時間の時間がもっと豊かになります。生産的に活動できる時間が長くなるからです。

書くことによって

知源育の養成において記録の重要性をいくら強調してもし過ぎることができません。経験学習がそれよりもっと上のレベルのより組織立ったものに変わるためには記録の役割が無くてはならないからです。もちろん、ただ書くと言うことではなくて、それをどのように活用してプロジェクトを進めるかという点も重要です。

私たちが頭の中で考える思考には限界があります。それはどんなに頭の良い人でも同じです。知源育的に考えを進めることが身に付けば、実はそんなに頭が良くなくても優れた考え方を発展できるでしょう。記録を進める事自体が考えを練ることになり、組織的に物事を整理して進める働きが出てくるからです。アメリカではNational Science Foundationと言う大きな組織があって、国中の研究開発を支援しています。その支援金を獲得するために出願書を作成する作業を知源育的に進めてきました。記録をしながら考えるといういつものパターンでリラックスしながらやっていることなのですが、ずっと経験も知識もある人たちよりも良いものが書けてしまうので不思議です。知源育的に書くことは緻密な思考を促します。

マンネリ化

私たちの進歩には山あり谷ありが普通です。理想的にスムーズに進むなどということはまず無いと言っていいでしょう。しかし、知源育のサイクルを創ることで、でこぼこ道もかなり歩きやすくなることも確かです。ところが、努力を続けていても、同じような繰り返しが起こっていると感じることもあるかもしれません。マンネリ化です。

マンネリ化が悪いかというと、必ずしもそうではありません。あることに慣れて、それ程意識しないでも物事ができるようになることは好ましいことです。ある程度機械的に物事ができるようになれば、自分の意識を他のことに向けられるようもなります。ゆとりも出てきます。ただし、自分の目指している方向への進歩がストップしてしまうことは悲しいことです。

進歩の停滞としてのマンネリ化をどう克服すればよいのでしょうか。理解の質が変わるのが一つのポイントです。この点についてもソロ・ブレーンストーミングを試みると、そのプロセスで今までに気づいていなかった現実がだんだん見えてきて、改善の糸口が見つかるでしょう。そのような時間の投資は価値のあるものです。日常の活動を少しお休みして、半日くらいの時間をそれに当ててみるのです。